住宅の室内空気汚染により、ひきおこされると推定される様々な健康障害をシックハウス症候群と呼びます。その症状は、頭痛やめまい、のどの痛み、吐き気、倦怠感など多岐にわたります。原因は、新築やリフォームした住宅の建材や家具から発生する化学物質が候補として考えられています。

ケミレスタウン・プロジェクト(図1)は、“ケミカル(化学)”がなるべく少ない“レス(少ない)”のまちづくりという意味で、千葉大学柏の葉キャンパスで行われているシックハウス症候群の予防を目指した環境改善型の予防医学プロジェクトです1)。本稿では、ケミレスタウン・プロジェクトが、柏の葉キャンパス地域で実施してきたこれまでの活動を概観します。

01図1

ケミレスタウン・プロジェクトの概要

プロジェクトは、千葉大学予防医学センターと、特定非営利活動法人ケミレスタウン推進協会(本学と共同研究を実施する民間企業により構成)を中心に推進されました。プロジェクトの流れを図2に示します。「1.実験施設の建設」では、千葉大学柏の葉キャンパス内に3棟の「戸建住宅実験棟」と教室、事務室、クリニック、展示ギャラリーなどの機能をもつ鉄筋コンクリート造2階建ての「テーマ棟」、3棟の居室単位の「プレハブ実験棟」など、総延床面積1,500m2を超えるさまざまな実験施設を建設しました(戸建て住宅実験棟は2007年4月に、テーマ棟は2007年11月に、プレハブ実験棟は2009年3月に竣工した)。そして、「2.化学物質の測定」では、揮発性有機化合物(VOC)を主な対象とし、最大116物質の濃度を季節ごとに測定しました。また、揮発性有機化合物濃度の合算値を総揮発性有機化合物(TVOC)として算出しています。なお、室内のVOCのみならず、特定の部位の濃度を調べる発生源調査や、建材自体から揮発する濃度を調べる放散速度試験なども実施しました。「3.体感評価」では、十分な濃度低下を確認した室において、健康なボランティアによる短時間体感評価および宿泊滞在評価を実施しました。

以上の結果より、「4.指針の策定」では、シックハウス症候群を予防できる室内空気中のTVOC濃度の規準として2つの指針を2011年11月に策定しました。化学物質に対して敏感な方(感受性の高い方)でもシックハウス症候群をある程度予防できるものとするS規準(250μg/m3以下)と、シックハウス症候群をある程度予防できるものとするA規準(400μg/m3以下)です。

「5.認証制度」では、学校の教室のモデルである「ケミレス教室」を2009年5月に、戸建住宅実験棟の1棟の「リビングルーム」と「寝室」を2009年11月に、プレハブ実験棟における「寮ユニット」と「リビングルームユニット」を2011年11月に認証しました。これらの認証が得られた室の構造や材料、仕様はケミレスタウン・プロジェクトの大きな成果といえます。

02図2

研究成果の社会還元や関連技術の開発

研究成果の社会還元として、シックハウス症候群や化学物質を低減した建材について学ぶことのできる「ケミレスギャラリー」を2007年11月に開設しました。ここでは、学外からの見学に対応し、シックハウス症候群と室内環境に関する情報を発信するとともに、様々な公開講座やシンポジウムを開催しました。

また、様々な関連技術を開発しています。たとえば、シックハウス症候群にかかりやすいかを確認できる「ケミレス必要度テスト2)」(図3)という化学物質への感受性チェックテストや「空気中化学物質を低減した室内空間の計画・設計支援ツール3)」(図4)があります。後者は、プロジェクトで得られたデータを数量化分析し、住宅のTVOC濃度に寄与する建築構造、竣工時の季節、温湿度、建築材料の種類などを導き、これら変数の組み合わせに応じた室内濃度のシミュレーションを可能としたものです。

そのほか、空気中化学物質の濃度測定を容易にできるように、操作方法を簡便にした宅配型空気捕集ポンプを開発しました。この機器により、機械操作に不慣れな方でも、自ら室内空気を採取し測定機関に発送することができるようになりました。

03図3

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プロジェクトはキャンパスの外へ

つぎに、実証実験のフィールドをキャンパス外へと拡張した3つの事例について述べます。2010年秋に、柏の葉キャンパス駅西口にあった柏の葉アーバンデザインセンター(UDCK)が駅東口側に移転しました。この新UDCKの事務室において、プロジェクトで性能が確認された建築材料を推奨し、施主と設計者との調整をはかりました。そして、推奨した床材、壁材、接着剤が採用され、濃度測定(図5)の結果、TVOC濃度は302μg/m3となりました。同様に、2012年春にパークシティ柏の葉キャンパス二番街に新築されたフィットネスクラブに建築材料を推奨しました。床材、壁材、接着剤に推奨した材料が採用され、濃度測定(図6)の結果、TVOC濃度は226μg/m3となりました。いずれも、民間企業である施主および設計者、施工者との調整のうえキャンパス外で実施した実証実験であり、厚生労働省が定める暫定目標値400μg/m3を下回り、シックハウス症候群をおこしにくい室内空間を実現しました。

さらに、千葉県内に計画された新築の銀行店舗にて実証実験をおこないました。建築の基本設計時(2013年1月)より、設計事務所と協議を重ね、工事費を検討する積算時の仕様変更、施工者が決定した後の仕様変更など、様々な段階において可能な限り化学物質を低減した材料選定や構法選定を実施できました(図7)。また、着工後、現場定例における趣旨説明や施工監理など一貫した管理ができました。結果、2014年2月の竣工1ヶ月後の測定(図7)では、冬季ではあるが、TVOC濃度104μg/m3と厚生労働省が定める暫定目標値400μg/m3を下回り、シックハウス症候群をおこしにくい室内空間を実現しました。この事例は、基本設計と実施設計から施工監理まで、化学物質を低減するための取り組みが実施できた貴重な事例です。

05図5

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ケミレスタウン・プロジェクトの現在

現在、ケミレスタウン・プロジェクトは第2フェーズを迎えています。具体的には、化学物質をより詳細に分析できる分析室を設置し、新築住宅における化学物質濃度測定と健康影響について、住宅メーカーと詳細な調査を実施しています。また、臭気とシックハウス症候群の症状との関係4)に着目し、嗅覚刺激が脳血流変化におよぼす影響を研究しています。さらに、化学物質過敏症が疑われる被験者の症状と自宅環境の関係を分析しています。また、これまでに蓄積してきた、室内化学物質を低減するために必要な構法や建築材料、施工時の注意点などの知見をもとに、民間企業と新たな空間づくりに挑戦しています。柏の葉キャンパスより実証実験を開始したケミレスタウン・プロジェクトの試みは、未来世代の健やかな環境の実現を目指し、その領域を確実に拡張しています。

 

文献

  1. 戸髙恵美子,森千里,(2009)環境改善型予防医学の実践-ケミレスタウン・プロジェクト,“ケミレス” 環境医学 化学物質を削減した社会づくり,医学のあゆみ,228巻7号,749-753
  2. 森千里,中岡宏子,花里真道,戸髙恵美子(2012)シックハウス症候群予防のための化学物質感受性セルフチェック「ケミレス必要度テスト」の開発:環境改善型予防医学による化学物質問題対策の実践例,臨床環境医学 21(1): p1-8
  3. 花里真道,鈴木弘樹,栗生明,森千里(2013)住空間における総揮発性有機化合物濃度の予測と計画支援ツールの開発,日本建築学会環境系論文集,78(683), p81-88
  4. 中岡宏子,瀬戸博,戸髙恵美子,森千里(2015)最近問題となる室内空気汚染物質とシックハウス症候群,日本医事新報4742, p23-28